FACULTY OF FOREIGN LANGUAGES
外国語学部NEWS

Encountering Tibetan Buddhism in America(アメリカで出会ったチベット仏教)

2023.02.17(金)
留学体験談 教員編  
斎藤純男教授(音声学)
留学先: アメリカ・インディアナ大学大学院
留学期間: 1980年9月~1981年5月(8か月)
Encountering Tibetan Buddhism in America(アメリカで出会ったチベット仏教)1
私はアルタイ言語学を志してモンゴル語を専攻しましたが、留学先はアメリカでした。インディアナ大学が世界のアルタイ研究のひとつの中心だったからです。

私が学んだ研究科の教授陣には、世界のあちこちから集まったおもしろい人たちがたくさんいました。モンゴル人のG先生は、1939年に樹立された蒙古聯合自治政府の徳王の秘書だったという人で、日本留学の経験もありました。チベット人のN先生は、あのダライ・ラマ14世のお兄さんで、G先生の研究室で授業を受けているといつもコーヒーを持ってニコニコしながら邪魔をしに来るとても人なつこい人でした。研究科のトップだったハンガリー人のS先生は、現在広く使われている「中央ユーラシア」という言葉を作った人でした。
帰国の際、ニュージャージー州にモンゴル系のカルムイク人を訪ねました。カスピ海沿岸のカルムイク族の一部が集団移住していたのです。ニューヨーク在住のモンゴル人ラマ僧の家に泊めてもらい、翌日一緒にバスでその町に行き、紹介された家族のおばあさんにカルムイク語の録音をしてもらいました。大学で習ったモンゴル語とは少し違う言語なので、何が話題になっているかがぼやっと理解できた程度でしたが、書物の上でしか知らなかった言葉を実際に聞けて感激しました。

その町にはチベット仏教(俗に言うラマ教)のお寺が3つありました。どれも外観はアメリカ風でしたが、中に入ると、アメリカを感じさせる要素は置かれていた賽銭が米ドルだったことだけで、あとは全くのチベット仏教の世界でした。昼ごはんにラマ僧たちが手作りの餃子をごちそうしてくれましたが、中に入っていた肉はひき肉ではなく、包丁で細かく刻んだものだったのでびっくりしました。でも、考えてみれば、昔はひき肉を作る機械などなかったのですから、そうするのが本来のやり方だったのでしょう。

ラマ僧の家では、朝起きるとニューヨークのアパートでチベット仏教の読経の声が聞こえる、という不思議な経験をしました。そのラマ僧は世界のあちこちを訪れていて、その中には仏教の聖地であるインドのブッダガヤも含まれていましたが、どこが一番よかったかという私の質問への答えが「ハワイ」だったのには拍子抜けしました。意外な答えに戸惑ってハワイの何がよかったのかを聞くのを忘れてしまいましたが、聞いていたら浜辺のおねえさんたちなんていう答えが返ってきていたかもしれません。
 *あくまで個人の体験、感想です(文責・編集:外国語学部PR委員会)


Encountering Tibetan Buddhism in America(アメリカで出会ったチベット仏教)2大学のキャンパスにて
Encountering Tibetan Buddhism in America(アメリカで出会ったチベット仏教)3仏教寺院の前でモンゴル人ラマ僧と