FACULTY OF FOREIGN LANGUAGES
外国語学部NEWS

Un escolar de 24 años(24歳の小学生)

2023.02.19(日)
留学体験談 教員編  
小池和良教授(スペイン語)
留学先: スペイン・バガ(ガルセラン・デ・ピーノ小学校)
留学期間: 1977年10月~1978年3月(6ヶ月)
Un escolar de 24 años(24歳の小学生)1
もう40年以上も昔の話だ。1977年10月半ばの晴れた日のことである。僕は大きくて重いスーツケースを抱えて、ピレネー山麓にあるバガ(Bagá)村に到着した。 小さな村なので小学校がひとつあるだけだった。中学校も高校もなく、ましてや大学があるはずもなかった。そんなわけで、スペイン語を勉強するには小学校しか選択肢はなかった。その小学校の校長先生に、僕の拙いスペイン語で、子供たちと一緒に勉強させてくれるようお願いした。校長は29歳の青年で、ホセという名だった。現在のスペインならば、24歳の東洋人を、公立の小学校が無条件で受け入れてくれることはあり得ない話だが、当時のスペインは国が変わろうとしていて、外国人にも門戸を開こうとしている時期だった。この状況が幸いして、僕は村の小学校で勉強できることになった。当時のスペインの小学校は8年制で、僕は最上級生の8年生と一緒に勉強させてもらえることになった。14歳の少年少女たちのクラスだ。
僕のガルセラン・デ・ピーノ小学校(学校の名前を知ったのはずっと後のことだ)での留学生活はこうして始まった。教室に行くと教卓の横の方に机があった。ちょうど教師を真横から眺める位置だ。その机に座っている少年がいた。名をラモンと言った。なぜ彼だけがその場所にいるのかわからなかったが、僕は担任の教師のはからいでラモンの横に、つまり他の生徒たちを斜めから見る形で授業を受けることになった。皆は教師よりも僕とラモンを見ながら授業を受けていた。ラモンはやがて村での僕のガイド兼親友になる。
学校での毎日は新鮮な驚きに満ちていた。スペイン語の授業のほかに、理科・算数・音楽・美術・カタルーニャ語・フランス語などの授業もあった。でも、授業よりもそれ以外のこと全てが発見だったと言ってもよいかもしれない。村での僕の生活の詳細をこの紙面で語り尽くすことはできないが、この村にいた半年間は濃密な時間だった。異質なものに囲まれた空間での生活は多くのことを教えてくれた。もっともこのことに気づいたのはずっと後のことである。若かった校長のホセはもうとっくに退職し、親友のラモンも60歳近い。しばらくバガには行っていないが、バガを訪れると、僕はかつての同級生たちや村の人々の歓迎を受ける。これも僕の貴重な財産である。
Un escolar de 24 años(24歳の小学生)2親友のラモン
Un escolar de 24 años(24歳の小学生)3同級生たちと