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2013年01月08日英米語学科

【留学体験】 ドラマ専攻学生としての日々 - 発見と葛藤、試行錯誤の歩み(第2弾)

8ヶ月の長期研修後、派遣留学生として2度目のイギリス生活。
好奇心を原動力に挑戦した私の1年間の記録。(第2弾)
 

英米語学科 窪田めぐみさん

10月3日、遂にドラマ科での授業が始まった。前週でのオリエンテーションで見合わせた顔がスタジオに集まる。今日の授業はActing and Not-actingだ。
 

考えても考えてもわからないこの授業名に首をかしげながら、私も20名弱のグループの一員としてそこにいた。

エクセター大学では12週間を1学期とかぞえ、クリスマス休暇をはさみ2学期が続く。3学期は試験期間となる。私の履修授業は各学期たった2つのみ。 スタジオで行う週3回、計9時間の実演授業。もうひとつは計3時間のレクチャーとセミナーで構成される演劇理論の授業だ。

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1年生にしては短い授業時間だと感じるが、インデペンデンススタディを軸とするイギリスの大学教育では、授業外での学習がその学びを支える。まったく見知らぬ場所に勢いよく飛び込んだものの、留学生に囲まれた環境から一転、聞こえる英語も感じる空気もまったく違っていた。
 

そもそも私がドラマを専攻した理由、派遣留学へと私を導いた想い、それは自身を表現する術をもっと身につけたいというものだった。漠然と描くだけのドラマ=演劇という、演技、演出、物語といったイメージ。そんな未知に対する希望と好奇心を抱き、この身体、声、心を総動員し、異文化、仲間、そして自分と触れ合いたかった。
 

そこではもちろん英語という言語の課題は大前提にあったが、何かを英語で学ぶとき、必要なのは語学力だけではないことを信じていたのだと思う。長期研修を経験して、その力が自分に秘められていることをもっともっと知りたかった。
 

1学期の実演授業は、パフォーマンスにおいていかに身体を活用することができるかを探索するエクササイズから始まった。そして演じることパフォーマンスとは何かを、作品創りで各自が模索していく。
 

授業では身体を動かしてばかりいるわけではない。身体や空間のつかい方について書かれている本はたくさんあり、研究者たちはパフォーマンス創りにおける方法論や理論を発表していた。私たちはそれらを基にグループワークショップを行ったり、作品制作過程で触れていったりした。
 

ある日は雨の降るキャンパスの茂みに隠れ世界と自分を観察した。その体験をポストカードに描き、パフォーマンスの題材とした。それもビジュアルスクリプトという理論の実践だった。

その後、2学期では40分の作品を発表することを目標に、ボクシングの入念なリサーチを行いながらグループオリジナルの作品を生み出した。グローブとバンテージを手に入れ、シャドーボクシングやスパーリングをしたのも懐かしい。よりストーリー性を重視し、表現方法に工夫を凝らした作品を作り上げる過程では、創造性豊かな皆のアイディアに多くのことを学んだ。
 

初めに抱いていた暴力的というボクシングに対する先入観は、リサーチによって次第にボクシングが持ち得る技術や美しさ、ボクサーの情熱などへ変化し、ダンスの振り付けや全員での試合のシーンへと表れた。それぞれの感性が意見を分かち合い、織り成す作品はまるで化学反応のよう。本番の日、観客にそれを見せてやれ、Break a leg!と送り出された私たちは、胸を張って演じた。
 

一方、もう一つの演劇理論の授業でも想像すらつかなかった学問分野が議論されていた。記号学、現象学、脱構築、ソシュール、デリダ…モダニズムにポストモダニズム。
 

西欧中心の思想は日本語でも理解し難いものばかり。大量のリーディング。とりあえず読んで理解しなければ…でも読んでも読んでもさっぱり解らない。言葉のニュアンスもこれまでの自分の英語には無いものばかり。本当にどうしようと青ざめたものだ。
 

それでも日本語と英語、双方からのアプローチを駆使し、少しずつであったが解ることも増えてきた。ひとつずつの小さな前進を支えに前向きに取り組むことで、学ぶ楽しさを見出だしていくことができた。
 

日本語、または英語だけではない理解するツール。それを駆使することにより、物事への解釈がひとつではなくなる。そんな不思議な作業を繰りかえしながら、拓けていく新世界に興奮を覚えていった。 (次号に続く・窪田めぐみ)

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