HOME外国語学部NEWS
2016年12月09日英米語学科

英米語学科海外特派員報告(シドニー発 青柳大喜記者)

スコットランド人の先生の人生から移民大国オーストラリアを知る

英米語学科3年 青柳 大喜

今回のテーマはクラスの様子と先生についてです。まずクラスの構成は日本人半分、外国人半分となっており、全部で17人です。 インドネシア、フランス、トルコ、ブラジル、中国、オマーン、ロシアと様々な国の学生と英語を勉強しています。

私はジェネラル・イングリッシュの一番上のクラスを受けています。さすがに皆、英語はたいしものです。日本人以外は。
とにかく刺激をもらう毎日で、ついていこうと必死に授業に取り組んでいます。しかし日本人については意識の低い生徒が多く、距離を置くようにしています。 (度重なる日本人批判をお許しください。でも、現実です。)
先生についてですが、オーストラリアといってもオーストラリアで生まれ育った先生ばかりではありません。私のクラスを担当している先生はアメリカ人とイギリス人です。今回はイギリス人のリズ先生をインタビューしました。

彼女はスコットランドで生まれ育ちました。ここで早速興味深いのが、彼女は決して自分をイギリス人だと言いません。 私が「イギリス」と言うと彼女は頑なに「スコットランド」と訂正します。彼女にとってスコットランドはイギリスではなくスコットランドだと言っていました。
彼女はとても成績優秀な生徒だったそうですが、大学には行かせてもらえませんでした。 当時「スコットランド」では女性は「家事」優先という結婚前提の暗黙のルールがあったそうです。19歳で結婚し24歳で、すでに4人の子供の母親となっていました。
さて、ここからが彼女の人生の大展開です。

25歳の時に広告の雑誌でオーストラリア移住の記事をたまたま見つけ、引っ越しを決意しました。特に経済、政治などの理由ではなく、狭いコミュニティから抜け出したかったそうです。ここで驚いたのが、飛行機代は5人でたったの40ドルで、家賃は2か月間オーストラリア政府が負担してくれたそうです。オーストラリアの移民政策のお陰で、当時は英語のネイティブスピーカーは多大なサポートを得る事ができ、ラッキーだったと笑顔で言っていました。

オーストラリアで生活を始めた彼女は、大学に行くことを決心しました。なんと当時大学は無料だったそうで、英語教師、心理学を専攻し10年間大学通って卒業資格を取りました。 その後小学校で8年間英語教師を務めました。その学校の生徒の大半はベトナム人だったそうです。彼らはベトナム戦争後安定を求め、オーストラリアに大人数で移住してきたからです。
それから20年以上、この大学の英語学校で英語教師を務めている、言わば英語教師のスペシャリストです。
最後にオーストラリアに移住したことについて不満はないかと聞くと、笑顔で「全くない」と答えてくれました。
今回のインタビューで、オーストラリアの移民大国としての現状、歴史に触れることができ、とても貴重な体験になりました。英語を使いコアな話をする。これからもこの事を意識して、精一杯楽しみ、勉強したいです。

20161209sydny

左リズ先生、右本人
掲載日:2016年12月09日

TOOLS