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2015年10月01日中国語学科

祖父と過ごした半年間 ― 大連留学体験レポート

近野雪江(中国語学科4年・東京都立富士森高校)


2015年2月から7月までの半年間私は中国・大連に個人留学していました。私が大連を選んだ理由・・・それは大連が私の母の故郷だからです。母は大連で生まれ育ち、結婚を機に日本にやってきました。母は帰化し今では日本人ですが、私の家庭の中には日本と中国の二つの国が存在しています。私は大学入学と同時に中国語を勉強しはじめました。
 

2年前の春、祖母が突然亡くなりました。母は満足のいく親孝行ができなかったと自分を責めました。今では元気な祖父ですが、祖父にとっても祖母の死は人生で一番悲しい出来事でした。そんな2人を知っているからこそ、私は大連を選びました。母に代わって祖父を世話すること。祖父の精神面を少しでも元気づけること。これが留学の目的でした。今だから言えることですが、中国語の勉強は二の次でした。一番の目的ではなかったです。
 

そんな中始まった私と祖父の2人暮らしですが、家族といえども一緒に暮らすということは容易なことではありませんでした。なぜならば、私と祖父との間には67年の世代ギャップが存在したからです。当初、世代ギャップや国籍の違いは私を苦しめました。国籍の違いといっても言語の壁ではありません。祖父は日本語・中国語の両方を話すことができます。ここで私が言いたいのは、思想の違いです。私は祖父の身の回りのお世話をすることが一番の目的であり、それが祖父にとっても一番の望みであると考えていました。
しかしそれは間違っていたのでした。ある日、祖父は私に「家事は一切やらなくていいから、もっと勉強しなさい。」そう言いました。私はわけがわかりませんでした。「だったらここに私がいる必要は全くないじゃないか、勉強は日本にいてもできる。それならなぜ私はここにいるのか。」勉強を全くやっていなかったわけではありません。嫌いなわけでもありません。 むしろ大学の中国語の授業はとても面白く、宿題や予習も人並みにはやっていました。私は勉強のためにと外に行くことを心がけていました。買い物でも友人と食事に行く時でも必ず中国語を使う、中国人と話す、これが私の勉強方法です。しかし祖父はそれを遊びに行って勉強をしていないと考えました。また自分の世話で私の勉強の邪魔をしていると考えたのです。勉強の邪魔をしない。これが私に対する一つの愛情であると知ったのは祖父の生きた時代を理解してからでした。
 

大連がまだ日本の植民地だった頃、祖父は日本人学校で5年間勉学に励みました。日本語はこの時に習得したものでした。しかし勉学を放棄して働かなくてはいけなくなります。祖父の生きた時代というのは勉強したくても勉強できなかった、そういう時代なのです。だから祖父は祖父なりに私を勉強の面で困らせまいと、経済的な援助もしてくれました。勉強するといえば、私が学習に集中できるよう好きなラジオを聴くのをやめました。足が悪いのに自分で食事を作り、静かに食事をとりました。それもこれも全て祖父が私に勉強に集中できるようにと行った気遣いでした。
 

中国語を話して、中国を見て触れて感じて、祖父と生活して、この半年間で得られたものを忘れずに私はこれからも前に進み続けます。

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大好きなおじいさんと

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